音楽業界と働き方 | 長崎県島原に移住したサウンドエンジニア〜後編〜
リモートワークが一般的になり、私たちの生活拠点も変わりつつあります。出勤時間の削減、理想の場所での生活。「どこでも仕事ができる」という新たな基準が働き方の選択肢として広がっています。 しかし、依然として最先端の情報や仕事は、東京や大阪といった都心に集中しているように思われます。音楽業界でも、「音楽の仕事をするなら東京」という信念を持つ人は多いでしょう。 では、音楽に携わりながらも、働き方を選ぶことはできるのでしょうか。 このインタビューシリーズでは、自分の理想の生活を実現している音楽のプロフェッショナルたちに注目します。音楽業界における新たな働き方の可能性に迫りましょう。
長崎県島原に拠点を構えるエンジニア・津吹 龍辰(つぶき たつたつ)さんに前編・後編に分けてお話を伺います。
津吹さんは、「宇多田ヒカル:ヒカルの5 DVD 武道館ライブ UTADA japan promotion」、「CASIOPEA:20thアニバーサリーライブ」、「東京フィルハーモニー管弦楽団:フジテレビ番組収録」など多数の作品を手がけてきたベテランのエンジニアです。
現在は長崎県島原に拠点を移して活動されているのですが、なぜアクセスが良いとは言えない島原への移住を決断したのでしょうか。そして、どのように音楽のお仕事に携わっているのでしょうか。
そこには、新時代の音楽への道標がありました。
前回は、現在のお仕事と、リモートでの楽曲制作について伺いました。
後編では、島原移住のキッカケや、音楽に携わりながら好きな場所を拠点にするために必要なことについて伺います。
東京から長崎県・島原への移住について
-改めて、島原に移住されることになったきっかけを教えてください。
まず、心情的なところで言うと、もう東京は人が多すぎて飽きちゃった(笑)。コロナ禍の時からそう思うようになりました。「どこかに移住したいな」ってずっと頭の中にあって、こんなゴミゴミした東京は嫌だなと思っていましたね。当時は大田区に住んでいたので、都内とは言っても割と人がいない方なんだけど、それでも六郷という川崎の隣町だったので人が多かったんですよね。
そんな時に、友達に海苔の仕事をやっている人がいて、「ちょっと手伝わないか」という話が来たんですよね。面白そうだなと思って、3年前の6月に島原に見に来たんです。もちろん親戚なんかいないし、初めて来る場所でした。でも、もう海がめちゃめちゃ綺麗で、いきなりでっかいクロダイが釣れたから、「おお!釣りもできる」と思ったんですよね。目の前にある海で。
しかも、顔をあげるとすぐ港だから、東京にいる人からすると、もう最高じゃない。「俺ここにスタジオ作るんだろうな」と思いながら、「 海苔の仕事、やる」といきなりやると言って、その年の9月6日に移住してきたんですよ(笑)。
-都心では味わえないですね。移住の際に、音楽の仕事はどうしよう、といった不安はなかったんでしょうか。
なかったです。オンラインで楽曲制作ができてたからね。(前編を参照)
音声のデータ、オーディオファイルさえ送ってもらえれば、CDもこっちでできちゃうから。実際に、こっちに移住してきてから、1年で3枚ぐらいCDを作りました。PC1台で出来ちゃうんですよね。
環境もいいし、海を見ながらずっと楽曲のミックスができるから、なんかめちゃくちゃ良かったです。いい感じでできました。
ご自宅の制作環境
-そういった制作をされている、ご自宅の環境について教えていただけますか。
今はね、わりと東京の機材を持ってきたりしました。こんな感じです。
リビングと寝室の2箇所あります。
◆機材リスト 〜リビングセット〜◆
- スピーカー: YAMAHA NS90
- インターフェイス: アンテロープZEN GO シナジーコア
- 端末: MacBook Pro3.1Ghzデュアルコアi5 13inchタッチバー
- DAW: protoolsStudio2023.09
◆機材リスト 〜寝室セット〜◆
- スピーカー: RCF ayra four アクティブモニター
- インターフェイス: デジ003
- 端末: MacBook Pro2011 i7 15inch
- DAW: protools11.03
-開放感があって素敵ですね。クリエイティブが広がりそうです。
ちなみに窓からは、のどかな景色が見えます。
自然に戻るっていうのはやっぱり大事かなと思います。
都会の狭いところで、なんとか家賃払ってやるよりかは良いですね。僕の周りのミュージシャンも軽井沢に移住したり、長野に行ったりとか、富山行ったりとか、結構みんなバラバラになってきてるんですよね。
-今後もその流れは続いていきそうですか。
多分そうですね。水面下で都心で担ってきた機能も地方に移動すると言われていますよね。他の業界では本社が地方に移転したりしていますし。
僕も、日本橋にいた時は、お部屋がデザイナーズマンションでとっても綺麗だったんですけど、広さが24平米で家賃16万円でした。
でも、島原だと古民家の8LDKだったら1万円で借りられるところがあります。
-それは魅力的ですね。移住したくなります。
自転車でちょっと行けば海があって、野菜もあって、魚も食べられて、水も綺麗で。こっちは湧水がすごく出るから、もう水が安い。
そういう環境だからね、何もないけど。でも自然で、人間が生きるために必要なものは全部ありますよ。モノがないですけどね、アップルストアみたいなものは(笑)。
-すごくその生活に憧れる方も多いですし、目指す方も多いんですけど、それは元々東京でエンジニアの経験を積んだからこそですよね。
そうですね。それは大前提です。
僕は、広島出身で高校まで住んでいたんですけど、専門学校の時に東京の尚美学園(※1)というところに行きました。新聞配達の奨学生制度を使って、授業料も生活費も、全部自分で払いながら生活をしていました。当時、周りは音楽を仕事でやることなんて大反対でしたから。
今でもそうですよね。「僕、ギタリストになる」なんて言ったら、大反対されることが多いです。それはなぜかって言うと、音楽で仕事をすることが市民権を得ていないというのと、少数のセンスがある人だけが売れていくので、まず競争率が高いじゃないですか。
あとは、自分がそのビジネス展開で生きていくっていう感覚がある人じゃないと、東京では生きていけないんですよね。
レコード会社は、まだ東京に本社があるから。CDとかのレコードに関しては、だけど。
(※1)尚美学園。都内の音楽・エンタテイメント分野の学校。「尚美学園大学」、「尚美学園大学大学院」、「尚美ミュージックカレッジ専門学校」がある。
-どのようにすれば音楽の仕事と理想の生活を両立させられるでしょうか。
今、TuneCore(※2)とかがあるから、別に東京にいる必要がないわけです。アメリカにいてもいいし、スイスの山奥にいても、発信できるから関係ないです。なので、今みんなが東京にいる意味って何かというと、人間関係の形成だったりとか、社会的なマナーを覚える必要性ですよね。そういうもののために3年は東京にいて経験を積んだ方がいいと思います。
例えば、会社だったら電話対応といったマナーですね。社内の人のことを、社外の人に向けて「うちの〇〇ですね」ってさん付けせずに言ったりしますよね。3年くらいそういう社会経験を積めば「仕事って何?」っていうのが大体分かるし、スキルがつくから。それで都会の空気をちゃんと感じられたらどこへ行くかは自由です。やっぱり仕事をしていく上では、それは大事ですね。
(※2)Tunecore(チューンコア)。Apple Music、 Spotify、TikTok、 Instagram 等への、国内最大の音楽配信流通サービス。
-逆に3年で良いんだ、と思いました。エンジニアのスキル的なところも含めて、3年でも大丈夫なのでしょうか。
だってもう人間関係ができちゃえば、あとは一緒にやるだけなので。 師匠なんかがいれば、師匠にくっついていけばいいだけです。
もちろん、今すぐ、というのはなかなか難しいと思います。いきなり、 クラシックのフルオーケストラの録音が案件であったとしても、「じゃあ明日来て」ってならないので。僕の時代はそういう案件が普通に仕事であって経験が積めたから、今そういうレベルの案件に対応できるんですけど。
逆に、今できることってありますよね。それを3年でベーシックにやっていって、そこからはもう自分の人間関係次第です。信頼がつけば、色々みんな教えてくれるようになるし、教えてもらうためにはどういう風にお願いしたらいいかとか。
僕はよく使うんですが「魚は与えるな、釣り方を覚えろ」っていう言葉があります。魚を与えたって、その人は出来るようになるわけじゃなくて、大事なのは魚の釣り方だから、それを3年で覚えれば良いんです。
-3年で実践して、そこからは自分次第、ということですね。「東京に音楽の仕事が集まっているから上京」という考え方についてはいかがでしょうか。
僕が高校生の時に、広島の先輩でデビューしたバンドが2つありました。ZIG ZAG(ジグザグ。※3)ってバンドが最初に出て、その後、吉川晃司さんがいたんです。なんでみんな東京行くのかなって思っていたら、先輩たちが言うには「東京にはうまいやつが集まるから」。36年前、そう言っていて、それで東京に行ったわけです。
僕も専門学校で上京したら、もう自分なんかよりずば抜けて上手い人がいっぱいいました。それはなぜかというと、情報量が全然違うんですよね。だから、うまい人がいっぱいいるわけです。それでみんな上京して、そこでチャンスを掴むような時代でした。僕の前後7年くらいは、そういう人がたくさんいましたね。
(※3)ZIG ZAG(ジグザグ)。ロックバンド。1982年結成、1989年解散。小泉(Vo)、上(Dr)以外のメンバーが広島県出身。
-そうなんですね。今、その流れは変わっているのでしょうか。
今はもう変わっています。だって、デビューする子はみんな北海道だったり。沖縄だったりしますよね。もう関係ないですよ。
テクニックとか、そういう面を磨こうと思ったら東京が良いかも知れないんですけど、やっぱりその風土が生んだ味みたいなものは、地方じゃないと出ないんですよね。
だからパターンとしては、2つですよね。裏方を目指すんだったら東京に行って腕を磨くみたい考え方があって、表でアーティストでやってくんだったら、多分もう全然東京にいる必要はないと思います。
-最近でいうと、藤井風さんもずっと地元・岡山でYouTubeで発信されて、 それがかなり、いい味を出していると感じました。
風くんのバックでドラムを叩いてる子は友達なんだけど、彼はスタジオミュージシャンとして東京でバンドを一生懸命やっているんだよね。
アーティストとスタジオミュージシャンは流通経路が違うんですよ。 アーティストって、地方から来るんだけど、デビューさせるアーティストを探してくるレコード会社があります。でも、レコード会社は結局いわゆる業者なので、スタジオミュージシャンも基本的には業者的な立ち位置で、例えばドラムの専門家みたいな感じじゃないですか。なので東京にいると、スタジオミュージシャンは仕事がいっぱい回ってくる、というメリットがあります。
-東京にいれば、レコード会社の目にとまりやすいということですね。
そうですね。そこからどうなっていくかっていうのは、自分のブランディングによります。
ずっと職業音楽家(スタジオミュージシャンなど)をやりたい人は職業音楽家をやればいいし、音楽家(アーティスト)をやりたい人は音楽家をやればいいし。
僕は、音楽家になりたかったっていうのがずっとあったから、移住しても、あんまり業者感は無いっていう感じかな。
-執筆されたブログ記事で拝見したのですが、本物と一流は違う(※4)という津吹さんの考察が興味深かったです。地方で本物が磨かれつつ、 東京で一流になるためにしのぎを削る、というイメージになりました。その2つは別のものなのかな、と思います。
そうそう、それは全くもって違う価値観だと思いますね。
(※4)津吹さんが連載している「マッシュミュージックスクール」の「津吹龍辰直伝!レコーディング&ミックスコラム」より:https://www.mush-music-school.com/blog_all/experience-becoming-professional-9/
-かなり未来的なお話も聞けました。津吹さんが、今後やりたいことはありますか。
今ね、この建物の横にライブハウスを建設中なんです。
そこが整ったら、ライブハウスでやるにしても、ドラムスクールもやっているから、ドラムスクールをやってもいいなって思ってます。
-そのうち島原からドラマーが出てくるかもしれませんね。
出るかもね!すごく呑気な人が多いから、のびのびした音を出せる人が出てきたらいいな。
前・後半に渡って、津吹さんのご経験と現在のお仕事、そして、これから音楽のお仕事をする上で大切にすべきことを伺いました。そこには、オンライン時代のヒントと共に、これからの音楽への向き合い方がありました。住む場所の選び方も、音楽への関わり方も、自分で選んでいけるからこそ、大切にしなければならないことがありそうです。
あなたはどのように音楽と関わっていきたいですか。「 ONLIVE Studio blog 」では、音楽に関わる様々なプロフェッショナルにインタビューを行い、「サウンドメイキングに新たな発見を」読者に届けるため、楽曲制作に関する記事を公開していきます。
津吹龍辰氏プロフィール
1969年1月30日生まれ、広島県出身。
レコーディングエンジニア/プロデューサー/ドラムテック/フィッシングインストラクターとして活躍中。エンジニアとして30年以上のキャリアを持つベテラン。
2020年より長崎県島原に移住。自身の経験を「津吹龍辰直伝!レコーディング&ミックスコラム(「マッシュミュージックスクール」)」として発信している(https://www.mush-music-school.com/tag/tsubuki_tatsu/)。
他にも、「fmしまばら」にて絶賛放送中「ツッチーとマユのサウンドマイグレーション!」、「ツッチーのベストヒットヒストリー」のパーソナリティを務めるなど、幅広く活動を行っている。
代表作に、「宇多田ヒカル:ヒカルの5 DVD 武道館ライブ UTADA japan promotion」、「CASIOPEA:20thアニバーサリーライブ」、「東京フィルハーモニー管弦楽団:フジテレビ番組収録」など多数。
5歳の頃にピアノを始め、鍵盤や打楽器に触れる。 学生時代はヒットチャートを中心に音楽を聴いてきたが、 高校生の頃にラジオ番組を聴くのが習慣になり、 次第にジャンルを問わず音楽への興味を持つようになる。 野外フェスや音楽イベントへ通い、ライブの持つパワーや生音の素晴らしさを実感。 現在はピアノと合わせてウクレレを練習している。 弾き語りが出来るようになるのが目下の目標。