前回のインタビューでは、羽柴さんの働き方についてお話を伺いました。音楽家にとって新しい働き方のロールモデルの一つとなる彼の働き方を、ぜひ合わせてご覧ください。
これまでの音楽遍歴「まずは自分でできることを周りに証明しようという信念」
-幼少期から聞いてきた音楽やご自身のルーツについて、教えてください。
幼い頃は平成の J-POP をよく聴いていて、特に当時の福山雅治さんや森山直太朗さんなどが好きでした。中高生の頃は、SEKAI NO OWARI や back number などのバンドをよく聴いていて、ジャニーズも母親の影響でよく耳にしていました。
なので、僕の音楽のルーツは、J-POP や歌謡曲にあります。
-どのような音楽遍歴をたどってこられましたか?
幼少期から音楽が好きで、家にあるキーボードで曲を聴きながらメロディを辿ったり、短いオリジナルメロディーを作って遊んでいました。
中学に入って真剣にギターを弾き始めて、高校では軽音学部に所属してギターボーカルを担当してバンド活動をしていて。
高1の時、ライブで盛り上がる曲がないかと探した時に、理想の曲が見つからなくて「だったら自分で作ればいいじゃないか!」と思ったことが、初めてオリジナル曲を作ったきっかけです。
当時の軽音部で流行っていた「ヘドバン」ができるセクションを入れたり、最後大サビに行く前にあえてアコギに持ち替えて静かに演奏して「陰キャだからモテない...」みたいなウケを狙った語りを入れたり(笑)。
そうやって作った曲をライブで演奏したら、すごく盛り上がったんです。今聴くとクオリティに思うところもありますが、当時にしかできない良い曲だとも思いますし、それが一つの成功体験になったといいますか。
羽柴秀吉名義で配信されている『陰キャ眼鏡のparty the night!』がその時作った曲なので、よかったら聴いてみてください。
-高校卒業後はどのように過ごされましたか?
日本工学院に進学しました。
専門時代は徹底的に配信を行うって決めていて、1年の秋頃に1st アルバムを作成して配信し、在学中には合計で3枚のアルバム、計 26 曲の配信を行いました。
あと、学内のコンペにも応募したところ僕の曲が採用され、山梨県笛吹市の PR 動画に採用いただいた経験があります。
そうしていると、徐々に知り合いから楽曲アレンジを頼まれたりして、学生時代から少しずつ案件をこなしていました。
日本アーティスト協会の理事長とも専門学生時代に出会い、一緒にやらないか?と誘っていただいて、現在に至ります。
-2年間で 26 曲は結構な作業量だと思いますが、当時の原動力は何でしたか?
当時から音楽プロデューサーになる夢を持っていたことと、自分の中での軸みたいなものがあって。
僕は体育の授業とかで自分は走ってないのに、走れって言ってくる先生みたいに、やっていない人から何かをやれって言われることが昔から嫌いなんです(笑)。
それと同じで、曲をアレンジしますって宣伝してる人が曲を出したことがなかったら信用がないと思っていたので、まずは自分でできることを周りに証明しようという信念がありました。
なので、卒業までの2年間の間で作詞作曲からマスタリングまで、一通り自分の力で完成させて配信することは入学する前から決めていました。
-専門時代から知り合いのアレンジの依頼を受けていたとのことですが、依頼されるようになった一番のきっかけは何ですか?
1年生の時に開催された学内オーディションライブで1位になったことで、周りに認知されたことだと思います。
僕は入学当初からそのオーディションライブまで、息を潜めていていたんです(笑)。
オーディションの結果の紙が張り出された時、周りが「2位以降は知ってるけど、1番上のは誰...?」ってなって(笑)。その時は快感でしたね。
そうやって認知されて、さらに 11 月にアルバムを配信したことで徐々に依頼してもらえるようになりました。
今でも学校の知り合いからや、その繋がりで案件を依頼されることもあります。
羽柴さんの音楽制作について「『泥臭さ』が自分の個性」
-ご自身ではどのような部分に作家としての個性が現れていると感じていますか?
メロディーや歌詞に少し泥臭さを感じる部分が、自分の個性だと思っています。
ただこれは現代っぽい曲だと少しミスマッチなので、依頼内容との塩梅をみてほんの少しだけ残すようにしています。
-「泥臭い」というと?
僕は高橋優さんの歌詞が一番好きで、曲を聴いていると歌詞が心に入ってくるような、そういうストレートな歌詞を目指して書いています。
だけど、最近の歌詞は直接的な表現を避ける傾向があるというか、もはや歌詞が楽器の一部になっていて、そういう曲が「おしゃれ」と表現されると思うんですよね。
僕の歌詞はそういうタイプではないので「泥臭い」って学生の頃先生たちに言われていました(笑)。
でも、その「泥臭さ」さが自分の個性であって、それを残すことが大切だと思っています。
-ご自身の楽曲をより良くするために何かしてることはありますか?
夜に「良いメロディーだ!」って思ってノリノリで録音して、朝起きて聞いてみると絶望した...みたいな経験って、一定数の人が経験していると思うんですよね。
なので、夜にメロディーを思いついたとしても、朝自分が忘れていたらリスナーも忘れる可能性が高いと考えて、あえて録音せずに眠りにつくんです。
それで朝起きても覚えていたら、それは影響力があるメロディーだと判断して、それから曲を作るっていうのを、高校時代から実践しています。
他には最近でいうと、色々なアーティストやジャンルを聞くように心がけてます。
案件との向き合い方「その方から出てくる個性5割、現代で求められている音楽性 4.5 割、残りの 0.5 割で羽柴秀吉の個性」
-音楽の依頼を受ける際に、大切にしていることはありますか?また、依頼をしてくれた方にはどのようなことを提供したいですか。
依頼してくれた方がどんな楽曲に仕上げたいかは勿論のこと、その人の音楽のルーツを理解し、一度自分の中にも入れた上で制作することを大切にしています。
なので、その方から出てくる個性5割、現代で求められている音楽性 4.5 割、残りの 0.5 割で羽柴秀吉の個性、くらいの割合で曲を作っています。
依頼してくださる方の中には羽柴秀吉の個性 10 割で楽曲を作って欲しいと言ってくださる方もいらっしゃるので、その場合は自分の引き出しの中で、依頼してくださった方が特に映えるような楽曲を探し出して提供させていただいています。
-もしも挑戦したことのないジャンルの依頼がきたら、何から始めますか?
おすすめの曲を教えていただいて、まずはひたすら聴いて勉強します。
どんな音やリズムが使われているかを分析したり、頭の中で組み合わせてみたりして、それから制作にとりかかります。
人によって好きな音楽って様々だとは思うんですけど、自分が聞いてきた音楽と重なる部分が絶対どっかにあるんですよ。
僕は母親の影響でジャニーズを昔から聞いていたんですけど、ありがたいことに様々なジャンルの曲があるんです。なので、まだ挑戦したことのないジャンルでも、実はどっかで耳にしていたりするんですよね。
自分の知ってる曲だったらすでに知っている音もあると思うので、それを見つけ出すこともやることの一つです。
-これからチャレンジしたいと思うジャンルとかありますか。
EDM や R&B に挑戦してみたいなって思っています。
J-POP って音を敷き詰めるイメージがあるんですけど、R&B は音数が少ないんですよ。これって1つ1つの楽器に自信がないとできないじゃないですか。EDM もビートがシンプルなので、それに独自性を出すってなったら結構難しいと思うので挑戦してみたいなと思っています。
今はひたすら色んなことに挑戦をして、自分が出来ない事を減らす努力をしていこうとしています。そうして、いずれはメタモンの様に変幻自在に、様々なことに対応していきたいです!
-これからどんなプロデューサーになりたいですか?
とにかく良いアーティストを生み出し「人を活・生かす音楽」を作りたいです。
僕がプロデューサーを志した理由は、音楽に対して情熱を持っている人や、才能のある人の音楽を一人でも多くの人に届けたいと思ったからなんです。
音楽を聞いて「明日も頑張ろう!」と思ってくれる人がいる限り、曲作りを辞める必要は無いと思ってます。
皆さんの個性を「活」かして、聴く人を「生」かす様な音楽を届けていきます。
まとめ
今回のインタビューを通して、羽柴さんは高校時代にオリジナル曲を作成し、在学中にアルバムを配信するなど、常に考えを持って行動し、その結果が次のステップへと繋がっていることが印象的でした。
彼のポジティブな姿勢と挑戦し続ける心意気は、これからも楽曲に大きな影響を与えることでしょう。
J-POP や歌謡曲を軸に培った感性と情熱を武器に、羽柴秀吉氏と共にキャッチーで力強い楽曲を生み出してみませんか?
羽柴さんに依頼をしてみたい方はこちらからどうぞ。
羽柴秀吉氏プロフィール
名前:羽柴秀吉
所属:無所属(契約先:特定非営利活動法人日本アーティスト協会、株式会社Soymilk)
生年月日:2003年06月03日
出身:神奈川県川崎市
出身校:日本工学院専門学校芸術専門課程ミュージックアーティスト科
趣味:ギターを弾く事、バレー鑑賞
東京出身の音楽クリエイター。 幼少期から音楽に触れ、高校時代ではボーカルを始める。その後弾き語りやバンドなど音楽活動を続けるうちに、自然の流れで楽曲制作をするように。 多様な音楽スタイルを聴くのが好きで、ジャンルレスな音楽感覚が強み。 現在は、ボーカル、DTM講師の傍ら音楽制作を行なっている。 今後、音楽制作やボーカルの依頼を増やし、さらに活動の幅を広げることを目指している。